2016/09/21 19:28
小学生の時、誰もがきっと『将来の夢・なりたい職業』的な作文を書いたと思う。
その通りに夢が叶った人、叶わなかった人、今も未だその夢を追っている人…
様々あると思う。
私は…???どのような作文を書いたのか?
その当時”ナイチンゲール”の本を読んで、母親が「そんな感じで書いておけばどう?!」と言うので、
何の考えも無しに『看護師さんになりたい』などと書いたように記憶が有る。
何の考えも無しに…です。
将来何がしたいか?何も考えてなかったし、勿論看護師さんのお仕事はとても尊い職業だと思っています。
でも正直、今思うに、自分の将来の夢なんて何も考えてなかったと思い出します。
漠然としたまま、小・中校と進み、卒業前のホームルームで、
『将来の夢とそれに向かう為、進むべき高校を決めた理由』を発表する時間がありました。
私は力いっぱい「キャリアウーマンを目指す為、商業高校を目指します!」と、答えました。
自分宅はお金もなかったし、厳しい親からは常々「好きな事したかったら働いて自分のお金でやりなさい」
と言われ続けていたため、何が何でも早くに社会人になるしかないと考えたのです。
商業高校を卒業し、就職先を求めるものの、思うように進展なく就職浪人となりました。
暗中模索の中、専門学校を1年だけの猶予とし、とにかく”就職”を目指しました。
『将来の夢』など考える暇もなく、ただ、パンのみの為に働く日々でした。
自分が何がしたいのか?何の特技があるのか?何に向いているのか?解らなかったのです。
『キャリアウーマン』を目指したつもりが、只『パンのみの為に働く蟻』でした。
職も転々としました。何の為に生きているのか?生きている目的すらも見失っていました。
ある時、知人の娘さん(高校2年生)に「将来の夢、何に成りたいか?を書く宿題があるんだけど…
なんて書いたら良いと思う?」と相談されました。
その時私はもう30歳を少し過ぎていたのです。
「30歳過ぎても考えれるわけないのに、17歳で既に将来を決められる?」
そう答える事しか出来ませんでした。
生きる意味を見失っている自分にこそ、その答えが必要なのでした。
紆余曲折…運命の旅の末、琉球四柱推命に出会い
今、琉球四柱推命を手にする私は、そのヒント・手がかりを見つける事ができます。
琉球四柱推命から割り出す『命式』というモノが
アナタの趣味・嗜好・得意技などの情報を、旧知の友同様に私へ知らせてくれるのです。
私は自分の天命を知るのに半世紀もかかりました。
早い段階で間違うことのない、効率的な人生設計を共に探求しませんか?!
また、人生が半世紀過ぎてしまったアナタにも、
何時でも道を変える事は十分可能な事なのだと、私は思っています。