先日、TVを見ていて感じた事なのだが…
健康体操を確立し、大成された方(D氏とする)が、
M公国に居を構えたという番組内容だった。
D氏は、大変な努力を重ね、
憧れのM公国に家を買う事が出来たのだという。
しかし、その道のりは長く、まずは門前払い、
全く「お前が来るな!」的態度だったと聴く。
幾らかの観光客の口コミにも、M公国にはその様な事がある、と書かれていた。
「金持ち以外お断り」と云う態度が見られたと…
私は行った事が無いし、勝手な憶測かもしれないが、
その様な噂を聞いてしまうと、気が引けてしまい、行く気が起こらない。
私はお金持ちでは無いし、普通の庶民だ。
確かに、そうする事で、治安や美しい景観が保たれるのだろう。
貧富の差が激しい国などは、場所によっては危険であったりもするし、
犯罪も多く発生したりするだろう。
D氏はM公国に『認められる為』努力を重ねられたと話されていた。
大変な努力家だと思う。
しかし、M公国に『認められる』って…何?と思えて仕方がない。
「金のない奴は来るな」的態度は何?
庶民・貧乏人のひがみと取られても仕方ないが、そう思わざるを得ない。
じゃあ、お金持ちなら良いの?!しかも、桁違いの?!
果たして、人間の価値や幸せはソコだろうか?
私も、多少の数ヶ国、数十ヶ所へ行った所で、
ちょっとした嫌がらせを受けたことがある。
私の夫もその昔、ワーキングホリデーにて生活した時、
差別・嫌がらせを受けたことが有ると言っていた。
その国々は、残念ながら、やはり「貧乏人は来るな」的な感じがある国だった。
(有色人種に対する由々しき問題上にてである)
某M公国に嫁がれた元大女優G・K女史は、
その生い立ちから見るに、生涯心底幸せだったろうか?
彼女も又、D氏の様に大変な努力家だと思う。
彼女の望む幸せという形を感じる事が出来ただろうか?
彼女を深く語る処に、そうでもない様な話を見る。
確かに人間は『誰かに認められたい』と望んで生きている。
その目標と価値観は色々だ。
「貧乏人は来るな」もあるかもしれない。
が、では「金払ったら良いんだろうがぁ!」というのも違うのは解る。
そういう、ただのやらしい成金根性では、人として宜しくは無い。
老若男女・貧富の差あっても大切なのは、 人間の尊厳であったり、
紳士淑女である事を忘れてはならない事だと思う。
そして、私が最も思うのは、
『人が人を区別・差別する事があってはいけない』という事だ。
動・植物の世界では、種の混合を防ぎ、純血腫を守る為、争いが起こる。
我が家に於いても、血統種の違う猫達の間に於いて対立を見る。
彼等には種存続の動物的本能により、そうあるのだろう。
しかし、人間には立派な『知(智)性』と『理性』がある。
自我・感情・本能(身体)のみで生きていてはいけない。
でも悲しいかな、人間は『欲』というモノの上で、
その様な偏りが出来上がってしまうのだ。
夏目漱石の『草枕』にもその様な事が書いてあったと思う。
アナタの中に『区別・差別する心の偏り』は無いだろうか?
M公国に行って、見聞きしない自分の中に偏見が無いとは言えない。
だから今、私は流球四柱推命にてアナタと共に学びたい。
もう一度、そういう所を見直して
『人間として生きる為の本当の幸せとは何か?』を、
個々に考えて欲しいと感じる。