2017/03/03 21:59

公園でキャッチボールする父親と息子。
休日、母親の傍で夕食の手伝いをする娘。
年1回のささやかな家族旅行。
週末の一家団欒、笑い合う家族。
孫を見て顔をほころばせる祖父母。
子の卒業、独立、結婚…人生の節目に行われる
「お父さん、お母さん、今まで育てて下さって
 有難うございます」等の言葉。
盆・正月・GWには孫をつれた息子、娘が帰郷して大騒ぎ!
何処にでも有る様な、ほの温かい家族の風景…
皆様の家庭はどうでしょうか?

そんな『普通の幸せ』を送れているでしょうか?
もっとも何が”普通”なのかは分かりませんが…

私自身の家族を顧みるに、全くその様な家庭ではありませんでした。
父・母共働きで、借金苦で…と云うのは以前に書きました。
小中高と卒業証書をもらう度、
「ちゃんとお父さんに挨拶しなさい!」と母に言われましたが、
私は「何で?」と心の中では考えていました。
父の癌が解った時、何か思い出をと思った母が、
「皆で旅行しよう!」と言ったのですが、
私は仕事や友達や彼氏優先だったので「行かない」と断ってしまいました。
(次女である私には父の病気は知らされてなかったので余命が来ている
 などと夢にも考えなかったのです)
自分の結婚式の前日も夜遊びに歩き回っていて、
「ウチには結婚式前の家族の団欒はないのか?」と嘆かれようが、
「そんなものは無い!」と言い切ってしまいました。
父や母の本心は解らないのですが、
私自身は、逃げる様に実家を後にする思いしかありませんでした。
その後、妹が亡くなり、姉も嫁ぎ、母は遂に一人ぼっちになってしまいました。
盆、正月、GWに誰も帰郷する事はありません。
「こんな時に独りで過ごさなならんのやったら、正月なんか来なくていい」と
母は嘆いていたそうです(姉談)
先に書いた”盆・正月・GWには孫をつれた息子、娘が帰郷して大騒ぎ!”という
家族の風景が母の夢だった様です。

それなのに元からそのような親不孝者の私と妹です。
運命が味方になどなる訳がありません。
そんな私に、運命は試練しか与えないのです。
その後、逃げる様に結婚に走った私に待っていたのは、
夢と現実のギャップ、合うと思い込んでいた元夫との不一致。
5年も掛かった協議離婚、実家からの絶縁状態にジリ貧の生活…

なぜ?そんな事になったのでしょう?
自分の人生を紐解いて視ました。
9歳から19歳、人生最大の試練が起こる時期。
前世にきっと相当な親不孝をして生涯を閉じたのでしょう。
この時既に運命は私に、「親(特に母親)との間を改善するように」教えていたのです。
しかし、当時そんな事は家族の誰にも知る事は出来ませんでした。
何も改善できないまま20歳、21歳、まだまだ母との確執は続きました。
自分の脳内にも悪い星周りの影響で磁場が狂い、何の気力もありません。
厭世的で引籠った感情しかありませんでした。
その様な時期が漸く明けたのは22歳、自動二輪の免許を取得し、
250㏄のバイクを購入、若さに任せ、又自分の運転で遠くまで外出出来る楽しさを見つけ、
活動的になり、友達も増え、仲間も出来、出会いにも恵まれました。
そこで出会ったのが元夫でした。しかし、元夫とは「友達にしかなれない相性」だったのです。
24歳、再び星周りの磁場が狂い、感情がコントロール出来ない年。
間違った考え、冷静になれない感情で行動してはいけない時に結婚してしまったのです。
28歳、女性にとっては良くも悪くも男性に関わる問題が起こる時期、離婚を決意しました。
30歳、次なる試練の時期が迫っていることに私はまだ、気付かずにいたのです…
31歳、独立すべき時期、漸く離婚届を提出する事ができました。
32歳、人生第二回目の試練の山場です。異性関係が拗れに拗れ、再婚を約束した男性から
2人共婚約破棄!?という事態に!!!その挙句、後々金銭問題で揉める事に成る男性との交際が始まったのです。
元夫も、婚約破棄になる男性2名も、この男性も、相性は良いモノではありませんでした。
今更ながらですが、当時の私には当然そんな事は解る訳がありません。
此処でも又、運命は私に「異性間の問題を改善するように」教えていたのにです。
36歳、身体の状態が向上し「こんな事をやってたら駄目だ!」と開眼し、
ようやく人生ポジティブになれた時、今の夫と再婚しました。

12年間の呪縛も解かれ、なんとなく実家との縁も戻りつつありましたが、
実家は実家、私宅は私宅、姉宅は姉宅と、中々まとまる事はまだまだ難しい状態でした。

そんなある日、夫が交通事故に遭い、大怪我を負って入院という事件が起こります。
看病に、仕事に、生活の不安に疲れ果てていた時、姉から電話が来ました。
私は事故の心配をして電話をくれたのだと思ったのですが…
電話の内容は「母が年金では生活が苦しいので、実はアンタ名義のお金をお父さんが遺してて、
今までは引き出せたんだけど、個人情報や詐欺事件で厳しくなって、その口座は本人しか触れないと銀行に言われ、
出せなくなったんだけど、母がソレを使わせてくれないか?と言ってるんだけど、
何とか出来ないか?ウチは息子が私立しか入れないから自由なお金が無いんだ」と言うのです。
疲労とストレスでクタクタになっていた私の琴線が大きな音を立てて切れてしまいました。
「私の心配すらしてくれんと、あんたら金・金しか言えへんのか?!」と怒鳴って電話を切ってしまいました。
丁度、入院から一時帰宅していた夫が傍にいて「〇(私)ちゃん、何て事言うん!?」と怒られて、
私はハッッとなりました。
すぐ、電話を掛けなおして涙ながらに謝罪をしたのは当然の事です。
人間冷静で無い時って、恐ろしい仕業をやらかしてしまうのです。
琉球四柱推命の学問に入っていなければ、そのまま私は鬼娘となり、地獄に落ちていたでしょう。
亡き父が…そしてこんな私を妻にしてくれた夫が、琉球四柱推命が私を人間に戻してくれました。
その後早急に生活費として数十万円を現金書留で母親へ送りました。
皆への謝罪の意を込めて、母と姉家族を温泉へ招待し、皆で腹を割って話し合う事が出来ました。
父が遺してくれた通帳(200万あった)を解約し、残金(100万円)は全て母の通帳に送金しました。

あの苦しい生活の中で、父が200万円ものお金を娘3人に遺していた事に驚愕したのは勿論、
母がそれを使い込んでいた事など、この親不孝者の私なんぞが母を咎められる訳が無いのです。
危ないところでした、あの鬼娘のまま現世を終わらせていたら…
父が亡くなる前、「ワシの人生はつまらんかった…」と言わせてしまった。
母にまで「あの子は鬼娘だった。私の人生何だったんだ?つまらんかったわ」と言わせるところだった。
来世、又私達は苦しいつまらない家族関係になるところだったのです。

「まだ間に合う!今からでも改善は可能だ!
 これからは家族が集まる機会を私が音頭を取ってやって行こう!
 父は旅が好きな人だった、生きていれば、今でも母と旅をしただろう。
 その役割は私が担おう!家族と、孫との旅行。母の夢を叶えよう!」

そんな思いを知人に話していると
「急にどうした?出家でもした?」(知人問う)
「イヤイヤ…某〇福の〇学じゃあるまいし…でも、出家と言えばそうなのかもしれないね…
 強いて言えば、『琉球四柱推命に出家して開眼し悟りを開いた』のが、そういう事かもね」(私答える)

琉球四柱推命の教えでは『全ての問題は家族の中にある』と説いています。
それを身を持って、50年間かけて体験しました。

『家族を愛すれば隣人も愛せる。隣人を愛せれば、職場の人間も愛せる。
 職場の人間を愛せれば社会も愛せる。社会を愛せれば国も愛せる。
 国を愛せれば隣国も愛せる。隣国を愛せれば世界も愛せる!』

『家族で起こっている問題は隣人宅でも起こっている。
 隣人宅で起こっている問題は職場でも起こっている。
 職場で起こっている問題は社会でも起こっている。
 社会で起こっている問題は 国でも起こっている。
 国で起こっている問題は 世界でも起こっている 』

今、コレを自分の中の格言にしています。

誰にでも欠点や難点、性格の偏りはあるのです。
「これでは駄目なんだ!」と気付けば直せば良いのです。
「何で不幸なんだろう?」「何故上手く行かないのだろう?」
誰しもそう思う事は1回2回ではないはずです。
何か根本的な理由が必ずあなたの前世からの運命の中にあるのです。
それは、家族単位で起こっているのです。
それを見つけるツールを琉球四柱推命は持っています。
そして、それを探し当て、アナタにお伝えする事が、
私達”琉球四柱推命運命鑑定士”の使命なのです。

アナタの運命の偏りを探求し、開運への道を歩みましょう!
私達”琉球四柱推命運命鑑定士”は何時もその扉を開けて、
アナタのご訪問をお待ちしております!!!!!