2017/03/10 17:23

さて…
『これからは家族が集まる機会を私が音頭を取ってやって行こう!
 父は旅が好きな人だった、生きていれば、今でも母と旅をしただろう。
 その役割は私が担おう!家族と、孫との旅行。母の夢を叶えよう!』
と”家族の幸せを目指し、業の修正”を目指す私なのだが…

家族旅行を計画しつつ、自分の前世も気になった。
自分で自分を鑑定した結果…どうやら『戦争』で生涯を閉じたらしい。
昨年、広島を訪れた。
第二次大戦下の国内、広島の原爆被害について勉強した。
深く感慨深い何かを思った。

次は、長崎について、ちゃんと知りたいと思った。
修学旅行で行ったものの、友人が「怖いから出よう」と言うので、
早々に資料館を出てしまったが、私には心残り…後ろ髪を引かれる思いが残った。
もう一度、ちゃんと学びたい!!!

長崎を基点に旅行を考えた。
そして、何故か以前から興味惹かれるキリシタンの存在を思い出した。
天草へも行ってみたいと思った。
調べていくうちに、当然『隠れキリシタン』に行き当たる。
そんな思いを馳せていると、引き寄せの法則か?
TVで安藤周作の小説『沈黙』を知る事となり、読んでみた。
悲しすぎる…どんな恐怖映画より怖く、生きていく気力すら奪われた。
何故そこまで弾圧されたのだろうか?

時の将軍豊臣秀吉が、十字軍の領地略奪と改宗の残虐性を知ったからだと云う記事を読んだ。
キリスト教は酷いやり口で、元から在るその土地の信仰を弾圧し、
キリスト教へ改宗させると同時に、領地を侵略したという話も聞いたような気もする。
キリスト教と十字軍は別物なのかもしれないけれど、
モノの本に、その様な記述を見た覚えがある。

私は、そこにカルマを感じた。
キリスト教に関するカルマを…

又、自分にもその影を感じた。
弾圧したのが豊臣&徳川、名古屋の出だ。
名古屋が空襲にあった理由、
長崎が空襲にあった理由、
母が名古屋に産まれた理由…
今、何故か名古屋に住むことになった自分…

島原のキリシタン達が、邪教として、仏像を破壊、お寺を焼き討ち、
島原大名とキリシタンによる領土拡大の画策。
イスパニアとポルトガルは、ローマ教皇から世界の分割領有を公認され?
キリスト教団(十字軍)によるインドやフィリピンの植民地化。

何の権限があってこんな事を?
こんな事は人間として、やってはいけない事だと思う。

信仰を巡って、親子が断絶する、夫婦が別居する。
どの様な宗教にもこういう事態は起こっている。

キリスト教団の領土信仰を恐れた江戸幕府は、
棄教させるよう、それは苛酷で陰惨なやり方をした。
宣教師にではなく、日本人のキリスト教信者への恐ろしい拷問、
『踏み絵』という忌まわしきモノの誕生。
地面以外に踏む・踏みつける事が出来るものがあってはならない様に思うが…
何の権限があってこんな事を?
これも又、人間としてやってはいけない事だと思う。

今の日本があるのは、キリシタンの犠牲の上に成り立った平和であると言われる。
ユダヤの人達もその点で日本に注目しているそうだが、何とも後味の悪い黒歴史だ。

「異教徒にはゼウス様から火の審判が下される」というのは…
この予言はもはや戦争以外の何物でもないだろう。
国取り合戦は宗教戦争でも或ると私は思う。

かつてキリシタンが改宗をさせる為、人々に正当なやり方をとっただろうか?
それと同じ苦行が隠れキリシタンとして生まれ落ちた人々に課せられたのではないのか?
アメリカで信仰されている宗教で最も多い信者を持つのはキリスト教らしい。
これは私の個人的考察に過ぎないのだが…
歴史は繰り返される様に、アメリカと日本が戦争になったのも、
かつて、弾圧されたキリシタン達が、アメリカに産まれ落ち、
弾圧(統治)のやり返しとなったのではないのか?
決して学ばない人間は馬鹿な事を繰り返し、黒い歴史は刻まれ続けるのだろう。

「お父さんが生きてたら喜んだやろうなぁ」(母談)
しかし、父が生きていたら、私は離婚しただろうか?
今の夫と出会えただろうか?
母の生活は苦しくなかっただろうし、私が歩み寄る事も無く、
家督は姉に継がれ、私は実家に寄り付く事は無く、私達一家は離散したまま。
共に旅行する事も無かっただろうし、
琉球四柱推命運命学にもたどり着かなかっただろう。
やはり、これは決して偶然では無く必然の運命であるとしか思えない。

私達一族の業は、修復すべきだと気付くまで、永遠に引き継がれ、
何度も何度も、争い・離散・死別等、決して宜しくは無い関係に悩まされ続けるのだろう。
家族という人間関係の業から戦争は始まっているのだという事を、
私は身を持って知った。それを私はアナタに伝えたい。

そんな事を考えていると、長崎観光案内のHPで『長崎ハーモニー』を観た
何故か、ポロポロ涙が出た。
”250年間、信じる事を諦めなかった人々の物語…
 どんなに苦しい日々でも、
 どんなに憎しみ合おうとも、
 必ず希望はある。
 人は必ず分かり合える日が来る。
 国や、文化や、宗教の違いを超えて
 平和を願う心はひとつ。
 『希望と共生の光』…”

まだ、長崎へは行けてないが、長崎へ辿り着いたならば、
しっかりと噛みしめたい、『希望と共生の光』の意味を…

私はキリスト教徒ではありませんが、
『ワレラノムネ アナタノムネト オナジ』

国や、文化や、宗教の違いを超えて、人は必ず分かり合える日が来るという事、
そして何かを成すには470年もの歴史と250年間もの
”信じる事を諦めない想い”が必要なのだと言う事を、
私は琉球四柱推命を通してアナタに伝えたい。