ラジオの歴史は古い。
実家の家業もナ・ン・ト!ラジオを売る商売から始まったと母から聞いた。
FMラジオを主に好んで聴くのは、広く色々な情報を知ることが出来るからだ。
故郷に居る時から、もう40年来FMラジオ愛聴家である。
最新の音楽、話題、国内外のニュース速報、流行っているモノから天気予報まで…
情報の宝庫だと感じる。
先日、何時もの様にラジオを聞いていた。
『マービン・ゲイ』の話題が物凄く気になった。
とても数奇な最後であった事を知った。
”マーヴィン45回目の誕生日の前日、
1984年4月1日の12時半頃、自宅で両親の喧嘩を仲裁した際、父マーヴィン・シニアと口論となる。
激昂した父が拳銃を発砲、2発の銃弾が胸部と肩に命中し、病院に運ばれる前に死亡。
皮肉にも父が使用した拳銃は生前にマービンからプレゼントされた拳銃であった”
と云う話だ。
そして、ラジオからは往年の名曲『ホワッツ・ゴーイン・オン』が流れた。
「ホワッツ・ゴーイン・オン」というフレーズも随分前から気になっていたのだ。
「ホワッツ ハプンド」とは違う。
しかし私は今マービン・ゲイに対して「What happened」だと感じて調べてみた。
運命とは本当に皮肉なモノで有り、必然の試練の上に有るモノだと痛感した。
マービン・ゲイ1960年代中期タミー・テレルと出会い、共に繁栄したのもつかの間、
1970年、タミー・テレル脳腫瘍で夭逝←マービン・ゲイ10年毎に起きる試練の年であった。
という所から視てみよう。
マービン・ゲイの前世に”親に対する悩み”が出ていた。
親は自分を悩ます存在で苦手意識があるものの、離れる事が出来ない事情もあったという事だ。
父親との軋轢が付いて回っているという事であろう。
自身は悩みながらもこだわりを持って努力してきたが、物事に執着し過ぎて、
方向転換が出来なかったという欠点もある。
異性に対しては”強い権力に対してなびきやすい”というのも出ている。
モータウン・レーベル社長の実の姉であるアンナと結婚したこともそういう成り行きだろう。
そしてまた、
前世に於いて、「自分らしい生き方を貫いてきた人」で、
”他人に頼らない強さがあり、独立志向の生き方を貫いてきた。
他人の意見を聞かない頑固さがあり、意固地な強情性があり、
空想的で探求心が強く、天才的な発想をする人”と出ている。
『ホワッツ・ゴーイン・オン』のアルバムで、内容に対して消極的な会社に対し、
マーヴィン自身がセルフ・プロデュースという制作体制で望んだことも大きな注目を集め、
自分の感じたままのことを干渉されずに作品にまとめ上げるというセルフ・プロデュースの姿勢が、
同世代に活躍した黒人ミュージシャンに大きな影響を与え、
「ニューソウル」という新しい音楽を確立する事に繋がった。
という所に前記の、意固地な強情性と探求心が強く天才的な発想に視られる。
その後のマービン・ゲイは、
1978年から現世でのカルマ解消の為の試練時期に入る。
先妻との泥沼の離婚調停や二度目の結婚生活の破綻、
自身の薬物依存などが原因で70年代後半は公私共に低迷していったのもそういう事だ。
一度は破産などのどん底の状態にあったマーヴィンではあったが、
1982、83年頃は低迷試練時期であるものの、メンタリズムは悪くなく、財運が出ていた。
全米シングルチャートの3位を記録し、グラミー賞を受賞するなど健在振りに見る事が出来る。
しかし、1984年『男性を意味する卦』が出ていた。←まさしく”父親”とのトラブルが懸念される時であった。
マービン・ゲイ自身も前世のカルマが出現する時期でありながらも、
自身の最悪の年から外れて、父親の手により没する事態になったのは、
私達琉球四柱推命運命鑑定士が常々説いているように、
『全ての問題の根源は家族の中にある』と言う事だ。
私的な考察としては、父親マーヴィン・シニアか母親アルバータ…
どちらかの試練年であったであろうと予測する。
(両親各自の生誕情報が分かればもっとハッキリ見えて来るだろう)
『厳格な父による躾の範囲を越えた精神的虐待、
これが後の彼の人生にトラウマとして遺ることとなった』
この両者がそういう度を越した関係性にあった事と、
母親も仲裁に入らなかった、この3名の親子関係は、
前世から持ち越され、現世でも解決せず、来世に持ち越された。
父親・母親の歪みとマービン・ゲイ自身の意固地さ…
この呪われた家族の因果応報に彼ら自らが気付き、修正できる来世が有る事を祈る。