2017/05/06 20:18
世間ではGW!!皆様は何処へお出かけしましたか?
私のGWは夫を手伝い、お仕事三昧でしたが、皆様は色々な思い出が作れたでしょうか?
旅は人生を変えますよね・・・
今回は、私の人生のターニングポイントとなった『運命の旅路』を書きたいと思います。
西暦1998年~1999年に変わる大晦日、大阪南港で『タイタニック号引き上げ品展』へ行った。
妹と妹の彼氏と私の3人で…
しかし…妹の様子は違っていた。
展示品を一つ一つ見ていくうちに…
得体の知れない何かに憑かれてた様に思う。
何をしていても人間は産まれたら後は死に向かうのみとも言えるかもしれない。
しかし…妹の様子は違っていた。
展示品を一つ一つ見ていくうちに…
得体の知れない何かに憑かれてた様に思う。
確かに、突き詰めれば最期には何をしていても死ぬのだ…
だから死ぬ結末ならば、全てが無駄なのかもしれない。
妹が亡くなる前にそんな事を言っていた様に思い出す。
物凄く大きなため息と共に「何が楽しいの?こんなのどおせ死ぬのに…無駄じゃ無い?」
いや、いや、いや、いや、いや…重いって~何言ってんの~?
私には彼女の心の闇は計り知れなかった。
2月…妹は静かに永遠の眠りについてしまった。
奇しくも彼女の運命の上で、最も重い試練の時の事であった。
彼女は乗り越える事無く、自ら人生を終わらせてしまったのだ…
私は何も出来なかった自分を悔いた。
この後私自身、タイタニック号に導かれるかの様な運命の旅を辿ったのだが、
それはもう少し先に書く事にする。
否、死に憑かれる前に、私は生へのエネルギーを得る為、
生あるからこその喜びを感じる為、アフリカへ!人類発祥の地へ飛んだ。
生きとし生けるものの息吹を感じ得る為に…
1月3日、出発するはずの飛行機が未だインドを出ていない?
添乗員さんの尽力でJALに詰め込まれ一路デリーへ!
デリー一泊後、翌日はムンバイへ飛び二泊足止め。
一か八かの空港にてキャンセル待ち、ようやくエアフランスを捕まえてモーリシャスへ。
その機内にて隣席の方(インド系の女性)と拙い英語でお話ししたら、
ナント一回り違いの同じ誕生日という事が判明した!
(パスポートを見せ合い確認した)
「神様のお導きだわ!」と彼女は言った。
(その後、1~2度手紙とメールをやり取りしたが残念ながら、いつの間にか発展は途切れた)
でも、この様な回り道をしなければ、絶対合うはずはなかったと考えれば、
この出会いも偶然では無く、必然なのだと思う。
この思い出も彼女の事も、私は忘れる事は絶対に無い。
再びキャンセル待ちの間、少しモーリシャス観光。
とりあえず、アフリカ大陸の隣までは来た。
その後は疲れ果て、記憶が無いが、とにかくケニアに着いたのは夜中であった。
市内一泊後…
いよいよケニア国立公園内に突入!!!
縞馬の群れだぁ!!!!!
「stop!please wait!」
安全な場所に車を止め、
アフリカの風を胸一杯に、息吹を身体中に巡らせた。
勝手な話だが、「何故、人は此処に来ない?来るべきだと思う」
と全身全霊で思った。
沢山の動物に出会った。マサイ族の方々に出会った。
気球に乗り込んで空中散歩をし、朝日を拝み、キリマンジャロを遠くに望んだ。
「人類発祥の地、大地溝帯を見ないかい?!」
解らないままに自分は素晴らしい場所に来ていたのだ。
人類発祥の地だ!
生きていてよかった!
心の底から思った…帰りたくないとも思った。
この景色を妹が見たとしたら、生き延びてくれただろうか?とも…
この旅も決して偶然ではなく必然の運命だったのだと信じている。
帰国しても日常は変わらなかった。
空は、同じ空の下なのに…
曇ってしか見えなかった。
変わらない迷いの生活…
妹が亡くなって、母も弱くなったのか、
「帰ってきたら?」とまで言い出した。
『二度と敷居を跨ぐな!』と強気だった母が…
女の独り暮らしは何かと苦労が絶えない。
けど、それが買ってでも手に入れた私の自立と自由なのだ。
初心貫徹!
もう少し、あと一歩、何かが見えるまでは…帰れない。
先日、TVで見た、未だ行った事は無い国のお話しなのだが、
小国のドブロブニク・ロヴリイェナツ要塞 入り口の上 には、
「何を犠牲にしても国の自由と独立だけは保ち続けなければならない」
という強い意志が伝わってくる言葉が刻まれているらしい…
NON NENE PRO TOTO LIBERTAS VENDITUR AURO
アフリカから処国へ売られると云う運命を課せられた方々にも、
私の運命の上でも、掲げたい言葉である!
「どんな黄金と引き換えても、自由を売り渡してはいけない」
~自己革命への旅編に続く~・・・