人の生き様は最期に見える~爆笑素ボケ親父と過ごした17ヶ月で得た教訓~ | 天方夜譚運命鑑定所

2018/09/21 11:42

運命は必然の様に、縁あって今の夫と再婚したのは2001年。

「僕、天涯孤独やねん・・・」なんて言われ、
可愛そうな境遇の人なんだ~ってお付き合いする事にした。

そして、お家に招かれ家中を案内してもらった。
私の住んでた1Kマンション一室が、
すっぽり入っても余る程大きなダイニングキッチンや、
20畳は下らない夫の自室、大層立派な床の間とお仏壇部屋、
8畳は有りそうな玄関等々・・・
もしかして『玉の輿』?!と思われる豪邸だった。
これが後々借金の形に取られるのはもう皆さんご承知の話。

その中で廊下の向こう側に、謎の部屋へと続く引き戸が。
私「この向うは何?」
夫「親父の部屋」
私「え???」
夫「親父が寝てる部屋」
私「え???」
とそこで、やにわに引き戸が開き、
ちっさいおじさん、もとい”親父”登場!!!
親父「さて、さて…出かけて来る」
私「こ、こんにちわ!」
親父「あぁ・・・」
目も合わさず、何処かへ消えて行った。

私「・・・天涯孤独って・・・言ってなかった?」
夫「あ~、言葉間違えたか?!」
詐欺られたと思った。

しかし、この親父が超面白い。
超素ボケ親父なのだ!!!

”親父”の一日。
AM5時 起床、新聞を取りに行き、何故か日の出時刻をチェック。
AM8時 自転車で何処へ出かける。
    (私が仕事へ行く道すがら、国道沿いのビルの階段に座り、
     メモに何かを記入している処を度々目撃する)
PM6時 帰宅、夕食を独りで食べる。
    (一汁一菜と白ご飯で十分納得)
    夕食後、手帳から何かをノートに記している。
私「お義父さん、何書いてるの?」
親父「日記・・・」
私「毎日書いてるの?」
親父「せやな!毎日やな!」
PM7時就寝。

ある日、私はイケない事と解っていながら・・・
”親父の日記”をこっそり見た。
大学ノートに1日1行、その日のルーティーンがカタカナと漢字で書かれていた。
『日ノ出○○時、昼ニ食堂デ、キツネ丼、冷ヤシアメ、清水寺ノオ茶屋デオロナミンC,
 (女将サン美人)、○○時風呂屋、6時帰宅、今日モ大食』
上記のルーティーンが365日書かれていた。
雨の日も、風の日も、このルーティーンなのだ。
毎日きつね丼(刻み揚げを甘辛く煮て、丼ご飯に乗せ葱を散らした京都庶民の食べ物)
と冷やし飴なる飲み物、清水寺お茶屋の美人女将見たくてオロナミンを飲み、
銭湯で電気風呂に入り帰宅というルーティーンだ。
親父は、このルーティーン以外の行動を極端に嫌う。

ある日、亡くなったお義母さんの何回忌かの年回をする事になった。
夫「○○日、お袋の○○回忌あるから、ちゃんと用意しておいてな!」
親父「あ~・・・はいはい」
夫「頼むで!!!」
その頃には親父の行動遍歴を熟察していた私は、
その日の親父の行動を自分内で推理していた。

当日の朝、台所のテーブルに「○○(親父の名)、年回欠席します」
置手紙をして、本日の揺るぎないルーティーン敢行の為、最早姿は無かった。
夫「あれ程言うたのに!!!親戚に顔向け出来ない~~~!!!」(激怒)
私「やるやる思いましたけど、やっぱりやりましたね!!!」(爆笑)
夫「笑い事ちゃうわ!!!」(オコ)
私「いやいや、夫くん!考えてみ、
  前からお義父さんはそういうの嫌いだって、あんた言うてたやん。
  お義父さんだって残り少ない自分の人生、好きに過ごさはったらええやん?
  嫌なモノ今更無理に連れて行かんでも・・・」
夫「・・・せやな、SCHEちゃんの言う通りやわ・・・
  そんな考えもあるよな!、僕目ぇ覚めたわ!」
親父年回欠席事件を笑いに変え、無事に年回も終え、帰宅。
程なくして親父帰宅。
夫「親父お帰り、今日の年回、来なくても大丈夫やったし!」(報告)
親父「あ?、あ~、ワシは大丈夫やで!」(自分の体調報告?)
全く話がかみ合わないので爆笑。

夫君が言うには、親父は本当は結婚などしたくなかったという。
けど、良い年した男が、奥さんも向かえないと云うのは、
まだまだ時代的に宜しい事ではなかったし、お見合いババアの登場で、
お義母さんを迎える事になったのだが、
このお義母さんというお方は、とても厳しい方で、
自由奔放なお義父さんを嫌っていたし、
お義父さんもお義母さんを嫌っていた様だ。
親父は仕事が嫌いで、ある日突然仕事を辞めて来て、
”日々のルーティーンのみの生活”に入られた。
お義母さん当然大激怒!
お義母さんは京都でも大手の会社へお勤めに出て、
定年まで立派に働かれ、家計を支えられた。
そんな夫婦の家内が嫌で、夫君のお兄さんは早々に家を出て行ったらしい。

そのお義母さんの厳しさを聞くに、
もしお義母さんが生きておられたら、私は現夫君と再婚はしていなかっただろう。
親父過去の日記から親父心内を読んだ。
『○○(お義母さんの名前)うるさい、しばきたい』
『○○の財布から1000円盗む』・・・
『○○(夫君)帰ッテ来ズ』(←私のマンションにお泊りした日)
『○○(私の名)ハ○○(夫君)ノ妻?』(←気になって仕方ない様子)

関西人的には爆笑のツボである。

夫「親父とお袋は、全く対称的な亡くなり方やったなぁ」

その人の人生の生き様は最期に解るモノであるのか・・・?

運命鑑定士から見る、澤村家の運命ポイント!!!
①そもそもお義父さんとお義母さんの相性が合っていない。
②お義父さんの悪い時期に結婚している。
③お義母さんに”結婚運”が無い。
④お義父さんにもお義母さんにも”家族の縁”が薄い運命が出ている
⑤お義母さんは生来『超厳しい』性格である。(昔気質の軍人系)
⑥お義父さんは生来『超楽天家』である。(遊んで暮らしたい系)

しかし、そんな2人は出会ってしまった・・・
出会ってなければ、私も夫と出会う事はなかったのだから。
やはり、運命は必然なのである。

私の母親も、夫のお義母さん同様、昔気質の軍人系性質である。
夫はお義母さんと似た性質がある。
私は夫のお義父さんと似た性質がある。

性質というモノは、何かが特出していては上手く行かない。
偏りは良くないのである。

似たような家族が集まって、目指す所は決まっている。
『偏りを無くし、調和に導く』ことである。

私などは『楽天的』なので、厳しさを学ばねばならない。
夫は『厳格的』なので、もう少し頭を柔らかくしないといけない。
新澤村家の相性は良い方なので、ここから運命の修正に入る出会いだと思う。

本題、『人生の生き様は最期に見える』という事とは・・・

お義母さんは癌で入退院を繰り返し、苦しんで、苦しんで亡くなられた。

一方お義父さんは、正しく”ピンピンコロリ”だった。

私的には、この先お義父さんの介護を覚悟していたのだが、
2002年の9月、日々のルーティーンから帰宅したお義父さんが、
「なんか夏風邪かなぁ?しんどいしもう休むわ」と言って
2日後、夜中に「やっぱり病院行こうかな?」と言って着替える為立ち上がったが、
その場で倒れ、救急車の中で息を引き取られた。
さっきまで普通に話してて、
一昨日迄元気(?)にお出かけし、「今日モ大食」だったのに。

お葬式に集まった澤村家親戚の方々が・・・
「人間生まれたら親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従うと云うけど、
 ○○ちゃん(お義父さん)は、澤村家の末っ子として生まれて、
 親・姉兄に甘え、嫁して来た奥さんに甘え、老いては子に甘え・・・
 悪気の無い、甘え上手な人やったなぁ・・・
 ほんまに良い死に方やで!!!あやかりたいわ~」と話す。

お義母さんや、澤村家お兄さん、夫にとって、
頼りない親父だっただろうが、
よそ様の方々には当たり障りなく生きた人だったのだろう。
私にとっては、”愛すべき素ボケ爆笑親父”だった。

※夕飯に『麻婆豆腐』を作った時、一汁と思った親父は、
 一気に『麻婆豆腐』を飲んだ。(私が止める間もなく)
 咽る親父、(辛いし、そりゃ咽るわ・・・)
※デザートのチーズケーキを「珍しいなぁ」と言って、
 白ご飯の上に乗せ、食べていた親父(それはケーキなんだけど・・・)
※着たきりスズメのお義父さんの服を「洗濯しますよ!」と言ったら、
 「まだ早い!」と言われ、洗濯の時期も親父のルーティーンがあると発見した事。

私の知る限りでは・・・

お義母さんは「人たるモノ、何でも心がけや!!!」と、
常に自分にも他人にも厳しい生活をして来た人だった様だ。

お義父さんは感情を表に出さず、人とも揉める事無く、上手く甘えて、
静かに自分のルーティーンを貫いて、穏やかに生きた人だった。

運命を良くするには、他人と決して激しい感情のぶつけ合いはしない事
なのである


私もお義父さんにあやかり、ピンピンコロリと最期を迎えたい。


☆運命の偏りは家族の中に有り、家族の中で調和へと導くことで、
幸せな人生となるのである☆